月の海から地球を眺め

宇宙人から見た地球。そしてニッポン。

すっかり忘れていたSMAPの解散

http://fujipon.hatenablog.com/entry/2016/12/27/000000

を、思い出したなって話。
おう。師走の底辺舐めんなこら(誰に言ってる

このブログ読んで何びっくりしたって、テレ東の18時に森くんをリアルタイムで見ていた私は、彼らをデビューから見ていた人間だったと言う事実を今更知った事でした←
えー3on3見れなくなんのー!?残念だなぁくらいにしか当時小学校の私は思っていなかったよ。

テレビあんまり見ない人でしたけれど、時折見るスマスマ、毎日入ってくるいいともの画面、年末年始必ずやる特番、その他諸々で見ていたね。
なんだか期待されずにデビューしたとは聞くんだけど、おおきにまいどありとか歌ってた頃だって既にテレ東の客席はペンライトや団扇で一杯だったし、そんな事聞いても、「ゑ?そうだったん?」くらいにしか思ってない。
楽な道ではなかったからこそ感情も強く、軋轢も団結もあったと思うと、そこに深い人間らしさを感じる。

虚が付く覚えだが、中居君は彼女を持たない理由として、「求められるのが嫌」だと聞いたことがある。それならDVDでいい。みたいな。
求められる事を逆手に取り、スキャンダルや下衆な事をぶっ放す阿呆がいる反面、その求められる侭に忠実にあり、苦痛を負ったその高い精神性には実に敬意を禁じ得ない。
なんだかメンバーが在日だとか変なのにちょこちょこ言われてるみたいなんだけど、いや別に産まれとかどうでもいいですわ。みたいなね。
こんな人が日本にいてくれて良かったじゃないか。
私それだけでも救いなんだけどなぁ。

さて。正月からは彼らをどう見る事が出来るだろうか。何となくだけど、何だかんだ数人纏めて見かける事は何度かあんだろーなーと言う気はする。
人間はちゃんと日本に居てくれるのだし、これからも茶の間で見かけたらいつも通りまったり見詰めようと思う。
別にファンでもなんでもねぇ私がこうして「居るのが当たり前」って思ってる感じが、国民的スターと言うか、もう国民の顔なんだろうなって思いますねぇ。

大晦日沈む月夜を眺めつつ
息白くして待つ初日の出

イヴに聖書を思い起こす

イヴを前にした昨日、久し振りに聖書の例えがふと頭に浮かんだ。
其れはタラントンの例えという。ルカだった気がする。正直昔の記憶で書くので、こまけぇこたぁ気にしないで欲しい。

或る金持ちが、長旅をする前に、三人の下僕に金を渡した。その額は、金持ちが思う下僕の能力に応じて渡した。其々、5タラントン、3タラントン、1タラントンであった。そして彼は言った。
「私は旅に出る。私が戻るまでに、お前達はその金を可能な限り増やしなさい。」
さて、長い年月が経ち、金持ちが戻ると、5タラントンの者は10タラントンにして金持ちに其れを返し、3タラントンの者は6タラントンにして其れを返し、1タラントンの者はその1タラントンをそのまま返した。
1タラントンの者は言った。「御主人様。私はこの1タラントンを失えば、御主人様にどれだけ厳しく罰を受けるかと思うと恐ろしく、これを土に埋めておいたのです。」
其れを受けて金持ちは言った。「お前は私が金に厳しい人間だと知っててそうしたのだな。なら何故銀行に預けておかなかった。そうすれば利率分は増やせたものを。おい!こいつを誰か縛って外に放り出せ!外の寒さに震えて死なせてやるが良い!」

何気に先日読んだドラッカー本にもサラッと引用されていた言葉だ。人、その努力を怠るべからずと言う文言で、少し弄ればビジネス的にも相性の良い例えであろう。
事実これを10年是とした私もこんな程度の認識だったのだが、昨日自分の脳味噌に新たに一つ注釈が付与された。

金持ちは、「何故銀行に預けなかったのか。」と言った。
下僕は、その1タラントンを基にして、5タラントンの者のもとで働くと言う選択肢もあったはずなのである。だが金持ちは此処に言及していない。
即ち、その人の努力は、誰から見てもベストである必要など無く、その人の能力と勇気、そして環境に応じて、成せるべき事を成せば良い。と言う事になる。

今日はイヴである。
私は毎年、イーストを使わない焼き菓子かパンに、ワインを食べるのが習わしだ。
基督教の信者とはとても言えないが、こんな時くらいは想いを馳せても良いと思うのである。一年の反省の意味も込め、儀式的に食べている。

ワインとパン種の無いパン。このオリジナルは、かの有名な「最後の晩餐」である。

" 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。
これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。(後略)」 "

さて、この時、キリストの契約以上にデカいイベントが一つある。それはユダとペテロの裏切りをイエスが予言することである。
ユダは銀貨30枚でイエスをパリサイ人に売り渡し、ペテロはイエスが捕まった後(イエスの死刑ほぼ確定状態)、ユダヤ人から「お前はイエスの関係者だろう!」と喚かれて、鶏が鳴く前にイエスを「知らない男だ!」と三回言うのである。
はい。信者の方は何が言いたいのかもうピンと来たかと思います。

ユダの裏切りは諸説あり、定まっていないが、「人間は人間らしく生きる」と言う思想の私から見ると、恐らくイエスが神の子を名乗った事で「こいつはペテン師だ!」と思ったのだろうなと思います。
ペテロの方は言わずもがな、自分の身可愛さで、イエスと無関係を貫こうとした。
ペテロはその後も十二使徒として活躍し、ユダは自らの起こした罪の重さに錯乱して自死を遂げます。

この違いは何か。
勿論運とか環境も有りましょうが。
迷う事なくイエスを売り渡し、其れに疑念も抱かなかったユダと、散々悪口を述べ立てる事も出来たはずが、必要最小限の否定を必死に絞り出したペテロの違いなんだろうなと思うのです。
其処に、信仰への努力があったかどうか、なのではないだろうかと。



怖くてもいい。
勇気が出なくてもいい。
自分が出来る事をしなさい。
葛藤しなさい。悩みなさい。

例え其れが傍目に何の成果にならずとも
貴方が出来る努力をしなさい。
それを応援してくれる人が必ずいます。
例えあなたの周りに今見えなかったとしても。

















すっげぇどうでもいい余談。
私はユダは許されると思いたい人です。
イエスは最後まで彼を友と呼び続けました。
其れは自らが罪を負わないためなんて打算でやってるとは思いたくないのです。

寒空に翠輝く月の海

吐く息白く夏待ち遠し

月が緑色に見えるのは珍しいなぁと思っていたら、母に、「全然緑色に見えないけど?」と言われてしまいました。もうね。毎日見上げてると僅かに色違うだけでも何となく気付いたりすんのよ。きっとね←

おはようございます。いつもの雑記です。
最近カジノ法案だかなんだか通るんだかと言う話があり、ニュースでサラリとカジノについてやってました。日本だと競馬とかパチスロとか、まぁ色々な資料とにらめっこし、データを取り、勝ちに行くギャンブルが比較的多いように見受けられますが、金持ちのカジノはどうやらバカラとかルーレットとか、頭を使わないディーラー頼みの運勝負が好みらしいです。
メンタルブレイクニートしてた頃の自分は、ゲームとかやっててもアクションとか将棋とかマインクラフトとか、兎角頭を使う事が多かったけれど、仕事終わる頃にはクタクタになっとる今の私は、帰ったらもう酒飲んでブログか、艦これくらいしかやってない。たまにwowsもやるけど、余り力が入らない。頭使うなら本を読むし。
そんな自分を観察すると、ひょっとしたらあいつら仕事のしすぎで休暇中は何も考えたくないのかな。とか、思ってみなくもなくて。そうすると金持ち相手の割な商売は、余り相手に何も考えさせない、「行き届いたもの」とか、「時間をショートな区切りで浪費できる物(積み上げるものが無いもの)」とか、そう言うのいいんだろうなと思う。例えば其れは日本の老舗旅館だったり、海外の高級ホテルだったり、先に出たカジノだったり、或いはクルージングだったりするんだろう。自家用セスナなんてのもそういうものに当たるだろう。
商売をするときはその線で考えてみたいな。

月が綺麗ですね(締め)

ツイッターでやるべきこと4

身体が熱くなるほど大量の書類を処理し、その後も雑務をこなし、変更点の確認作業をし、終業頃にはいい加減頭も痛くなるそんな日。
上がった後の一杯。
ホントこのために生きてるって言いたくなるほど気持ちいい。

月読さんのぼやき みひら

悪事も偽善も許せないくせに、自分のする事は許せと言う人がいる。悪事については私も同意したいのだが、偽善も批判するのは私は好みではない。

さて、正義感が嫌いでイナゴも寄付も嫌いな人間が、俺は許せお前ら許さないと様々な能書きブーメランをぶちまけ続ける中、同じくイナゴ嫌いだった私が、彼をどう見るべきなのだろうかと悩んだ。最初は当然怒りだった。これは正義感から来るものだ。上記の通り、偽善批判する人間は碌でもないと見るのが私の中の正義だった。そして彼からすれば其れこそ真の害悪であると言う正義がある。そしてブログにぶちまけてはてなトップにまで乗っておいて、これは勝手に書いたもので嫌なら見なければ良いと言い出すのも正直見え透いていた。

とは言え、彼と今の私に共通しているのは批判に対する批判と言う、ミイラ取りのミイラである。何が一番問題って、ミイラがミイラ取りをしているという事だ。ミイラ取りがミイラになるより質が悪い。ミイラになるだけならただの心変わりだし、見方が変わっただけだが、ミイラ取りのミイラは人間を主張しながらミイラにも人間にも牙を剥く。
結局、私が最終的な立場としてどう有るべきかと考えた時、「見なかった事にする」が一番今の所正しいと言う結論に達した。

ところで、皆がそうしたらどうなるだろう。
誰も誰に関わらず、見て見ぬふりをして。
相手の事を慮るが故に何も出来ない世界になったら。相手と同じ罪を被らないように総て見ないことにしたら。

其れが東京の現在ではないか。
社会人で大人の集まりとは、得てしてそうなるものなのだろう。
詰まり思ったよりも日本人は冷酷でもなければ不真面目でもない。寧ろ考えは多いしとてもクソ真面目なんだろう。

成るほど。人に神が必要な訳である。

遠雷の痕庭先に残る影

冬なのに夏の季語。

差別主義者が身内から出たこの腹立たしさよ。
ネトウヨなど画面の中の話だったが終いに自分の母が罹患した。キムチと言った奴もう韓国人で、日本に仇成す者なんだそうだ。怒りを持ってやり返せば終いには自分が家事やってるのに何を逆らうとか言い始めた。其れを言うなら稼いでこいよ。
別段私も韓国人が好きな訳ではないが、かつて諸外国人が(例え戦争で敵性と成していても)愛してくれた日本人の民族性は、昭和の中頃を境に無くなってしまったようだ。
まぁ、お上は今も昔もかわらんやろけど。

もう少し、高貴に生きられる人と共に有りたい。
弱い者いじめ、帰化人差別、障碍者危害、もうこんなん眺めるの懲り懲りや。
売国奴は日本出ていって下さいねって言う声が飛んできそうだけど、前から自分は坊主悪ければ袈裟どころか足袋まで憎い連中は実に国益を損なうと考えておりますのでこれはお互い様ですね。
うん。そんな理屈はいいやね。

自分の近くに差別主義者を置きたくない。
商人としてそれだけは絶対にあってはならない。
政治の世界ですら敵性だろうが非常時には共闘もするものだ。商人が理解の道を閉ざして何になる。社会人なら理解しているはずの事だ。

対応を取らなければならない。