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月の海から地球を眺め

宇宙人から見た地球。そしてニッポン。

車輪の再発明

オマージュとリスペクトなんて言葉に頼らずとも、車輪の再発明だと思える案件は多くあると思う。

今私が読んでいるのは人工知能の歴史についての本なのだけど、此処で「考える事は分ける事」と言う章題が出て来ている。この本によると、今までアナログだと思っていた電話の調整調律が、この考え方を発明する事によってコンピュータ制御に置く事が可能になったのだと言う。

さて。考える事が分ける事だなんてのは、私はそんな事大学の頃には既に分かっていた。理解とは物の違いを区別する事。つまり混沌たる一の世界に境界を加えてクラスターに分ける事だ。私が直接この考えに行き着いた原因は東方プロジェクトの八雲紫だけど、それ以前から似たような考えは様々ある。パッと思いつくだけで挙げると「煩悩即菩提(生死即涅槃)」「大極両儀四象八卦」とかなり旧い話が出て来る。特に道教なんて急急如律令の言葉がエンターキーの東洋のデジタル論だ。

結局は知識の基が変わるだけであって昔から頭の良い人は頭が良くて、考え方の基本というのは意外と変わってなくて、その基本は「愛智」こと哲学や神学であり、現代人の大半はその再発明された車輪を生活に組み込んでいるにすぎない。

 

現代人を見下しているわけでは無い。

改めて温故知新という言葉が大事で、そしてまだまだ旧い考えはライフハックや物の考え方として取り入れるのに便利なのでは無いかと思う次第である。