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月の海から地球を眺め

宇宙人から見た地球。そしてニッポン。

正確性が不必要な時代へ

人工知能の発達により、機械は学習する事を覚えた。自律で学習する機械は、概念を獲得し、やがて物事の正否を人間と同じ視点で考えられるようになる。

これからはあらゆる事が機械に置き換えられる時代になると、色々な人間が思っている。私もその一人だ。何しろ人件費が安い。加えてどんな人間よりも正確に仕事を行い、効率も高い。ヒューマンエラーなど機械にはあり得ない。

そうすると、人間にとって、物事を正確に行うことは大事な能力になるだろうか。勿論不必要ではあり得ない。しかし自らの仕事を機械が添削出来るとしたら、不正確な人間でも最終的には正確なものを出す事が出来る。故に人間の効率主義はこれからどんどんと緩和されていくだろう。これはほぼ間違いない。

 

人が生きるとしたら何で生きるか。

私は芸術と風俗であると思う。

人の快に訴える事は機械にも出来る。しかし人では無いと出来ないこともまた人に残されている。それはビッグデータのような既設の寄せ集めではなく、斬新であるもの。人の先を行く事。それは機械には出来ない。何故なら機械は博打を打つためにマネジメントされる事はあり得ないからだ。斬新は必ず人から出るだろう。

 

また、風俗と一括りにしたが、要は接客業もまた消える事は無いだろう。細々とするだろうが、ネット販売全盛の今でも店舗が必要とされていることからも、接客業の意味が残されている事は間違いないのだ。

勿論、その為には「人がいる意味」をしっかりと捉え、人間にしか出来ない笑顔、応対、味と言うものを心掛けなければならないだろう。既にそれは販売業には試される世界にある。今のファミマの店員はロボットとさして変わらない。これはやがて置き換えられるだろう。

 

いや、ファミマをdisるためにこの記事書いてるわけじゃ無いですよ?

二十年後くらいには、プログラミング言語が風景に見える人間と、感情を武器に出来る女狐と、空想が突飛で斬新な人間が生き残る時代になるんだろうなと思う次第である。

 

絵の腕?

機械に描いてもらったり、線や絵の質を選んで動かす絵の描き方が出てくると私は思いますぜ。それこそ、ネトゲアバターみたいにね。

勿論、手描きと並列して扱われる。例えるなら歌ってみた人とボーカロイドPのようなものだ。どちらも芸術として扱われる時代が来るだろう。