月の海から地球を眺め

宇宙人から見た地球。そしてニッポン。

月読さんのぼやき みひら

悪事も偽善も許せないくせに、自分のする事は許せと言う人がいる。悪事については私も同意したいのだが、偽善も批判するのは私は好みではない。

さて、正義感が嫌いでイナゴも寄付も嫌いな人間が、俺は許せお前ら許さないと様々な能書きブーメランをぶちまけ続ける中、同じくイナゴ嫌いだった私が、彼をどう見るべきなのだろうかと悩んだ。最初は当然怒りだった。これは正義感から来るものだ。上記の通り、偽善批判する人間は碌でもないと見るのが私の中の正義だった。そして彼からすれば其れこそ真の害悪であると言う正義がある。そしてブログにぶちまけてはてなトップにまで乗っておいて、これは勝手に書いたもので嫌なら見なければ良いと言い出すのも正直見え透いていた。

とは言え、彼と今の私に共通しているのは批判に対する批判と言う、ミイラ取りのミイラである。何が一番問題って、ミイラがミイラ取りをしているという事だ。ミイラ取りがミイラになるより質が悪い。ミイラになるだけならただの心変わりだし、見方が変わっただけだが、ミイラ取りのミイラは人間を主張しながらミイラにも人間にも牙を剥く。
結局、私が最終的な立場としてどう有るべきかと考えた時、「見なかった事にする」が一番今の所正しいと言う結論に達した。

ところで、皆がそうしたらどうなるだろう。
誰も誰に関わらず、見て見ぬふりをして。
相手の事を慮るが故に何も出来ない世界になったら。相手と同じ罪を被らないように総て見ないことにしたら。

其れが東京の現在ではないか。
社会人で大人の集まりとは、得てしてそうなるものなのだろう。
詰まり思ったよりも日本人は冷酷でもなければ不真面目でもない。寧ろ考えは多いしとてもクソ真面目なんだろう。

成るほど。人に神が必要な訳である。