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月の海から地球を眺め

宇宙人から見た地球。そしてニッポン。

イヴに聖書を思い起こす

イヴを前にした昨日、久し振りに聖書の例えがふと頭に浮かんだ。
其れはタラントンの例えという。ルカだった気がする。正直昔の記憶で書くので、こまけぇこたぁ気にしないで欲しい。

或る金持ちが、長旅をする前に、三人の下僕に金を渡した。その額は、金持ちが思う下僕の能力に応じて渡した。其々、5タラントン、3タラントン、1タラントンであった。そして彼は言った。
「私は旅に出る。私が戻るまでに、お前達はその金を可能な限り増やしなさい。」
さて、長い年月が経ち、金持ちが戻ると、5タラントンの者は10タラントンにして金持ちに其れを返し、3タラントンの者は6タラントンにして其れを返し、1タラントンの者はその1タラントンをそのまま返した。
1タラントンの者は言った。「御主人様。私はこの1タラントンを失えば、御主人様にどれだけ厳しく罰を受けるかと思うと恐ろしく、これを土に埋めておいたのです。」
其れを受けて金持ちは言った。「お前は私が金に厳しい人間だと知っててそうしたのだな。なら何故銀行に預けておかなかった。そうすれば利率分は増やせたものを。おい!こいつを誰か縛って外に放り出せ!外の寒さに震えて死なせてやるが良い!」

何気に先日読んだドラッカー本にもサラッと引用されていた言葉だ。人、その努力を怠るべからずと言う文言で、少し弄ればビジネス的にも相性の良い例えであろう。
事実これを10年是とした私もこんな程度の認識だったのだが、昨日自分の脳味噌に新たに一つ注釈が付与された。

金持ちは、「何故銀行に預けなかったのか。」と言った。
下僕は、その1タラントンを基にして、5タラントンの者のもとで働くと言う選択肢もあったはずなのである。だが金持ちは此処に言及していない。
即ち、その人の努力は、誰から見てもベストである必要など無く、その人の能力と勇気、そして環境に応じて、成せるべき事を成せば良い。と言う事になる。

今日はイヴである。
私は毎年、イーストを使わない焼き菓子かパンに、ワインを食べるのが習わしだ。
基督教の信者とはとても言えないが、こんな時くらいは想いを馳せても良いと思うのである。一年の反省の意味も込め、儀式的に食べている。

ワインとパン種の無いパン。このオリジナルは、かの有名な「最後の晩餐」である。

" 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。
これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。(後略)」 "

さて、この時、キリストの契約以上にデカいイベントが一つある。それはユダとペテロの裏切りをイエスが予言することである。
ユダは銀貨30枚でイエスをパリサイ人に売り渡し、ペテロはイエスが捕まった後(イエスの死刑ほぼ確定状態)、ユダヤ人から「お前はイエスの関係者だろう!」と喚かれて、鶏が鳴く前にイエスを「知らない男だ!」と三回言うのである。
はい。信者の方は何が言いたいのかもうピンと来たかと思います。

ユダの裏切りは諸説あり、定まっていないが、「人間は人間らしく生きる」と言う思想の私から見ると、恐らくイエスが神の子を名乗った事で「こいつはペテン師だ!」と思ったのだろうなと思います。
ペテロの方は言わずもがな、自分の身可愛さで、イエスと無関係を貫こうとした。
ペテロはその後も十二使徒として活躍し、ユダは自らの起こした罪の重さに錯乱して自死を遂げます。

この違いは何か。
勿論運とか環境も有りましょうが。
迷う事なくイエスを売り渡し、其れに疑念も抱かなかったユダと、散々悪口を述べ立てる事も出来たはずが、必要最小限の否定を必死に絞り出したペテロの違いなんだろうなと思うのです。
其処に、信仰への努力があったかどうか、なのではないだろうかと。



怖くてもいい。
勇気が出なくてもいい。
自分が出来る事をしなさい。
葛藤しなさい。悩みなさい。

例え其れが傍目に何の成果にならずとも
貴方が出来る努力をしなさい。
それを応援してくれる人が必ずいます。
例えあなたの周りに今見えなかったとしても。

















すっげぇどうでもいい余談。
私はユダは許されると思いたい人です。
イエスは最後まで彼を友と呼び続けました。
其れは自らが罪を負わないためなんて打算でやってるとは思いたくないのです。