月の海から地球を眺め

宇宙人から見た地球。そしてニッポン。

空室(うつむろ)に晒す北風動く石

ハイアットリージェンシー東京
その下層階もまた綺麗に磨かれた火山岩のような石で出来ている。
入り口から見えない、道曲がり少し登ったところに、建物の中央にあたる部分にロビーのような大きな空間がある。しかしそのロビーは其の実扉無き外界であり、吹き抜けるビル風の通り道だ。ベンチのような置物は木製でもないが故に座れば冬の寒さが肌を通じて痛い程登ってくる。飲み物を買って座り、本を読みながら数分過ごしたがまるでその冷たさが止むことはなく、腰を上げて触ってみても手には冷感が伝わってきた。この比熱の大きさは恐らく本当に火山岩なのだろう。
最初はベンチの中でも風の通らない場所に人が陣取り昼食を食べていた。外様の私はそちらに行くわけにもいかず、かと言ってこの冷たさにも耐えかねて、立ち上がり、近くの柱を風除けにして本を読むことにした。大分本に熱中し、風除けのお陰で身体も温まってきた頃、そろそろ移動しようかと顔を上げたら、周りは既に人で埋め尽くされていた。先程私が忌みて立った席も人が座って昼食をとっている。噴水の名残と思しき段差で、私が立ち入りもしなかった所にも人が座っている(水は流れていない)。
私は一抹思わざるを得なかった。東京で働く者がこうして互いに身を寄せもせずに、風晒の中各々腹を満たしている。換えて私はどうだろう。数々不満あれど、先への不安あれど、少なくとも食事は扉の中で食べていた。外様だからと遠慮した自分のような形を、当たり前として毎日過ごしているプロレタリアートがこの広場を埋めているのである。

独りの事務職は孤独である。しかし私には食事に際し居場所を作って頂いていたのだとふと思う(唯の休憩室の弁当でも、『そこにいて良い』と言うのはやはり違うものです)。
いつまでも居られない場所とは言え、その点は富に感謝を申し上げなければならないだろうと思うものである。