月の海から地球を眺め

宇宙人から見た地球。そしてニッポン。

ひとり以外で飯を喰うのか?

Netflix野武士のグルメお題「ひとり飯」

飯とは孤独で無ければならない。
余計な雑念を入れずに、五感を駆使するのだ。
店の雰囲気、手入れの良さ、立ち居振る舞いから発せられる音、さりげ無くあしらわれた飾り気、調理する前の素材の匂い、そして調理された後の仕上がった香り。色艶、焼き目、温度。
人と話していてこれらが解るだろうか。
食とは殺しである。私達は幾許の意思を殺して日々の糧を得ている。なればこそ彼らの生き様、死に様と言うものを可能な限り理解し、その果てを可能な限り憶えておかねばならない。
この食事が楽しいのは君が生きていてくれたからか?
この食事が楽しいのは、君が死んでいてくれたからだ。

印象に残っている屋台がある。
其れは沖縄・那覇の第二公設市場にあった、沖縄そば屋だ。市場のメインロードから一本逸れた場所にある其れは、私が最初に行ったとき、既に満員だった。
店はおばあちゃんが一人で切り盛りしていたように記憶している。常に湯気立つ店内で、客は一心不乱に沖縄そばをすすっていた。少し脂っぽいような独特の臭い。しかして不快感は無かった。
其処の沖縄そばは一杯350円。豚の三枚肉(アバラ)が増えて550円。普通に一番安い沖縄そばを頼んだ。
おばあちゃんが寄越した沖縄そばは、量は普通の東京の蕎麦よりも少し多いくらい。かまぼこと三枚肉も三枚ほど載っており、充分贅沢であった。既にこの時点で350円は都会の人間には破格であるが、一口食べて私は更に驚いた。鈍くゆっくりと、幾許のクセと共に広がる旨味。尖りの無い、丸くて重たい味を、優しい沖縄の塩で更にまろやかにしている。
そう。牛出汁である。
それも自家の牛を屠殺し、その肉を塊のまま骨ごと荒っぽく煮詰めたあの味だ。昔の農家が、田舎の農家が、祝い事のために牛を潰して、其れを親戚郎党に振る舞うために最もシンプルにマース煮(塩煮込み)にしたあの形。日の老いたるものは懐かしさに涙する者もいるのでは無かろうか。
ふざけるな。と思った。
そりゃあこれだけ人も入る。皆が愛する理由も解る。おばあちゃんが一人だから切り盛りも成り立つ。逆に言えばそれ以外では成り立つまい。
私はその時絶対にその味を忘れまいと必死に、しかし麺が伸びない程度に味わって喰った。

三年後、同じ場所に行った。
果たして店はそこにあった。
中にいるのは比較的若い夫婦。客の数は1/3減か。其れでも充分繁盛している。匂いは何処か馴染みのあるものに変わっていた。
頼んだそばの値段は変わらない。
乗っている三枚肉もかまぼこも変わらない。
しかし薄濁った白湯のような汁は白味のかった綺麗なツユになっていた。飲めば其れは、沖縄そばとして馴染みのある鰹ベースのスープであった。


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