背広から外す名札の重きかな
重たい。
重たい。
と言うわけで重たい話題です。お久しぶりです。
何も書いて来ませんでしたが、遂にこの斜陽部署吹っ飛びました。
んでもって私も同時に失職であります。しゃあないね。
今までも何回か辞めたりクビになったりしてきたけれど、今回は外す名札の重みが違った。無くなってから解るとあちこちで言うけど、まさかこんな事で体験するたぁねぇ。
この一ヶ月、消えるとなってから分かった事もあった。みんなが急に優しくなったり急に素っ気なくなったりと言う事は無かったけれど。
如何にして人が溶け込むのに、受け容れるのに、心を割くものかとか、あれこれ試してみるのかとか。
特に上司が其れに苦闘してた事を察せられたのはデカい。(本人は何も云うてません)
実は今回、次にどうするか全く決めてない。
全く頭に浮かんで来なかった。浮かんでも三日するとしっくり来なくなったり。どうしたら其れを出来るかがまとまらなかったり。
今日は夏越しの大祓。
大母様とお慕いし、週3以上で通ってた黄泉津大神様に、大祓のお願いと取り敢えずのお別れの御挨拶をしてきました。
何というか、色々な意味で一転の日だと思う。
欲を言うのなら、七月は旅に出たい。
島根に行きたい。(出雲大社、黄泉津比良坂)
特に壱岐と奈良は多少無茶でも行きたい。
御朱印帳の中央は左に伊勢内宮、右に月讀神社。
大和の大神様。私は貴方様を忘れている訳では決して在りません。甘やかしてくれる御母様にうつつ抜かしてましたけど←
実は壱岐市は一度行ってるのだけど、当時は御朱印帳集めて無かった。葛野坐月讀神社の御守りに気を吸わせて満足していた私。
あの時は月讀神社だけ恐怖感と言うかプレッシャーヤバかったけど、今行ったらどうなるだろうか。やっぱり睨まれるんだろうか。
箱崎八幡神社ではプチ肉離れも治癒してもらったし、壱岐市って私にとって奇跡の地なんですよね。霊感なかったのにスピリチュアル体験ガンガン。流石に天津神の神脈は違う。
あの地は真の意味で神道が根付いている。
神道は日月の間にあり。と言う言葉の意味を体験したければ壱岐市に行きなさいと言いたい。ナチュラルにライフサイクルに染み付いてるから。壱岐島にとって神道って宗教じゃないんですよね。ただの生活の一部。
明治政府の文言見るよりも遥かに手っ取り早いです。
…っと、すみません。勢い付いて話し過ぎました(´・ω・;)
重たい話題から飛ばさずに此処まで読み進められた変人(ド失礼)の貴方様。是非友達になって下さいお願いしますorz←